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8ヶ月程度で終わると思っていた私が間違っていた

日記、という物は元来「今日あった出来事」であるとか「今、巷で話題になっている事」で構成されるべきだとは思うが、このブログでは、あまり「季節感」というのは感じられない。

『今日思いついた事』を書いているはずなのに、全く時事的な話題が無い、という事は「今が何月でも別にどうでもいい」と、私自身が思っている事の何よりの証拠だろう。

今見返してみても、クリスマスに近い日のブログには「生きがいが分からない」。新年早々のブログでは「スポーツ新聞のエロコーナーが気になる」。自分の事ながら、「カレンダーとかテレビとか、部屋にあるよね?」と少し心配になる。

せいぜい「雪ばかり降ってせっかくの休日なのにどこにも行けないや、暇だしおちんちんが大きくなるタイプの映像でも見ようかな、オヤッ、ティッシュが無いぞ!やれやれ、寒いけど物置から予備のティッシュ箱を持ってこよう…うわあ寒い寒い、こんな日に部屋から出るなんて狂気の沙汰だよ…そういえば小さい頃はどんな寒い日でもスキーをさせられたな…」という様な、「自慰」と「AV」と「ティッシュ」という3つの単語越しで、ようやく「冬のスキーは寒い」という事を思い出せた前回くらいしか、季節感のある事を想像するのに成功できた覚えが無い。



というか、今だって「今が2月13日」という事が、まず信じられない。もう2月、しかも13日。あと半月もすれば3月、春がすぐそこまでやって来ている。

感覚的にはまだ11月中盤くらいでいる。「さあここから冬も本番、今年もそろそろ終わりだね!」なんて思ってるに、世間一般では「今が2月13日」なのが常識の様になっている。「パーティーの準備も始めて、皆と過ごす素敵なお店の予約も取って、あっプレゼントの準備もしなきゃ!」なんて思ってるのに「今は2月13日」。「猿の頭蓋も用意できたし、猪の生き血も6ガロン用意できたし、あっ、敵襲に備えて矢に毒塗っとかないと!毒、毒っと…よーし、後は部族の皆を25日の12時ちょうどに法螺貝で呼ぶだけ!ホッホッホッ」なんて思ってるのに「今は2月13日」。ふざけるな!殺されるのは私なんだぞ!



私の感覚では、まだクリスマスも正月も体験していない。いつの間に、私の時間は奪われてしまったのか、いつの間に、世間は私より3ヶ月も4ヶ月も勝手に先を行っているのか。1日1日を噛みしめる様に生きていないから「いつの間にかもう○月」という事態になっているのだろうか?

解決策はあるだろうか。たまに聞くのは「あまり冷房器具や暖房器具を使わない事で、その季節を目一杯感じて過ごす」という案。調子に乗ったアーティストとかが、雑誌のインタビューで得意げにエコノミスト自慢を披露するアレだ。

しかし、これは却下。理由は簡単「死ぬから」。南国では何とかなるのかもしれないが、ここ新潟では無理だ。一度おちんちんが大きくなるタイプの映像を見ている時に、丁度ストーブの灯油が無くなり、極寒の中で最後まで致した事があったが、もう凍えて手の感覚が無かったし、まず全く気持ちよくなかった。気持ちよく無いのなら駄目だ。死ぬから。

子どもの頃は毎日が過ぎ去るのがとてつも無く遅かった気がするが、気のせいだろうか。「まだ月曜日、まだ火曜日、まだ水曜日。早く学校休みたい休みたい」と、ずっと思っていた分、余計に1日が長く感じられたのかもしれない。

「時が過ぎる」という事に、昔の様に興味を持つ事が出来れば、少し違ってくるのかもしれないが、書いてて気付いた(というか思い出した)のは「私は自分の年齢を忘れたい」という事だ。

1日1日が過ぎて行く。私もまた一つ、年齢を重ねるその時が少しずつ少しずつ近付いて来る。先の見えないフリーター生活、いつまでこんな事を続けていられるのだろう。明日、もしかしたら母が倒れるかもしれない、急な出費があるかもしれない。いつかは考えなくてはならない事、でももう少しだけ、もう少しだけ先延ばしさせて欲しい。いつか、いつかちゃんと考えるから…。そんな繰り返しの日々では、「今日は○月○日、フリーター生活○ヶ月目、母はもう45歳、祖母は76歳」という事を忘れたいという気持ちも、また仕方ない事かもしれない。

部族の皆との宴は、まだ当分、先になってしまいそうだ。