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山沿い降雪予想70cm

産まれが雪国なのでこの季節の学校の体育といえば「スキー授業一択」だった。

どんな吹雪の日だろうが、痛みを感じる程の雹が降ろうが、全くお構い無し。
しかも、私の学校では所謂「クロスカントリー」という物をスキー授業で取り組む事になっていて、それがまあとにかくキツかった。

校庭からスタートし、学校の裏にある丘を登り、丘を下り、更に学校の周辺に作られたスキー専用のコースをひたすら滑る。楽しい事なんか何も無い。『只々体を虐め抜くだけの地獄』が私にとってのスキーの印象だ。

それでいて、私は運動が大の苦手だったから、スキー授業の前日になると、家でシャワーを浴びる時には34度くらいのぬるま湯で頭を洗う様にしたり、寝る時は少しだけお腹をシャツから出して寝るようにしたりと「微熱来い!微熱来い!」と願いながらその日を過ごしたりしていた。

「37・5℃」という絶妙な体温を得る為の努力を怠らなかった程、私はスキー授業が嫌いだった。



例えば人類を2種類に分けるとして、その分け方が「困難な何かに立ち向かわなくてはならなくなった時、何とかしてその壁を乗り越えようと、自分を信じて毎日毎日少しずつの努力を怠らない一派」と「困難な何かに立ち向かわなくてはならなくなった時、とにかく壁に卑猥な絵を書きまくる一派」であったとしたら、私は完全に「便所の落書き一派」であったので、「家に帰っても体力作りをして何とか苦手なスキーを克服したい」とは考えず「いかにしてスキー授業をサボるか」という事ばかり考えていた。



アレは小学校4年生くらいの事だったか。
「スキー靴がどこかに行った」という嘘を担任について、スキー授業を欠席しようと考えた時があった。

何故スキー靴が無いと嘘を付こうか考えたかというと、理由は簡単、「それが一番手っ取り早いから」。

病気や怪我の類いでは、目に見えた結果(顔色が悪い、脚に包帯など)が必要。スキー板やストックは廊下に立て掛けておかなければならない決まりがあったので、あまり動かす事が出来ない。一番無くなる可能性がまだあるのが「スキー靴」だった。

だが、家に持って帰れば家族にバレた時に怒られる、ランドセルの中にずっと隠し持っている訳にも勿論いかない。

スキー靴というのは意外に大きい物なのだ。これを読んでるアナタにも想像してほしい。「これくらいがスキー靴の大きさなのかな?」と。そして今、頭の中に浮かべたサイズの、丁度その2倍の大きさが『モノホンのスキー靴』という物だ。どうだ、大きいだろう。

…『どうだこれで明るくなつたろう』みたいになってしまったが、話を戻そう。スキー靴をどうにかして消さなければならない。

そう考えた時に私に残された選択肢は「学校のどこかに隠してスキーが出来ない状態を作ってしまう」だったのだが、コレが非常に面倒臭い事態を招く事になった。



いざスキーの時間になると、担任の先生に「アレ、スキー靴はどうしたの?」と当然聞かれる。

しかしここで「忘れた」と言えば「じゃあ明日持ってきてね」となり、たった1日しかスキー授業をサボる事が出来ない。その「忘れて無いです状態」が2日も3日も続くと、学校から家に連絡が入る可能性もあるからだ。どうにかして1週間から10日くらいはサボりたかった。

ここで「あのね、あのね、妖精さんがね、靴の中があったかいって言ってね、それでね、おうちがね、無い無いって言うからね、あげたらね、妖精さんがね、どこかにね、持ってちゃったの!」と手をパタパタさせながら、一生懸命せんせいにお話してみれば「そうなんだ!きっと春になれば妖精さんたちもきっとお礼を言いに来てくれるかも!こんなクソみたいな板で雪の表面を滑るだけ、正に面白みゼロの遊びなんか今すぐ辞めて、妖精さんたちを迎える準備を始めましょう!」「うん!」となり、何とかなった可能性もある。



ただもうその頃の私は、もう少し声変わりも始まっていて、精通もすでに済んでおり、自慰の楽しさも覚え、それに加えメガネをかけたガリガリのヒョロヒョロという見てくれであった。

その精通を済ませた低い声で「あのねあのね」と幼児を気取った結果、担任に新しいトラウマを植え付けるのも悪いと思い、最終的につい口からでまかせで、担任に「さっき見たら無くなってました」と言ってしまっていた。

担任の先生も心配したのかもしれない。当時の私はメガネをかけたガリガリのヒョロヒョロな小学生にはありがちな「もしや虐められてるのでは?」という心配をされやすい見てくれであったので、そこからあれよあれよと言う間に「エスキ君のスキー靴を隠した犯人はすぐ名乗り出なさい」と、気付けば担任の先生が教壇の前で腕を組みながら言い放つ学級会へ、トントントーンと事が進んでしまった。



その学級会。勿論全てが嘘で、自分で靴を隠した訳で、クラス全員の前で即興で嘘を付いていく事の怖さといったら無い。

「どこで無くしたの?」「いつ気付いたの?」「その時周りには誰かいた?」「○○さんはその時エスキ君の姿を見てた?間違いない?」「今日登校してきた時から今までの事をちょっと思い出してごらん?」...地獄だった。



しかし、その学級会では誰も自白する事はなく(当たり前だ)「何故自分のスキー靴を隠しただけなのにこんな仕打ちを」と只々逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのを覚えている。

結局「せめて皆でスキー靴を捜してあげよう」という事で、クラスの皆で放課後の時間を使っての大捜索が始まるのだが、「自分の嘘が多くの人を巻き込んでいる」という自覚も流石にあったし、それとは別に「見つかったら普通にスキーさせられるじゃん」という『何の特にもならない感』も少し感じていた。

当のスキー靴は、用務員さんが作業用具を入れておくのに使っていた小さい倉庫みたいな所に、ビニール袋にくるめて放り投げておいたのだが、そこに私の靴を捜しにクラスメイト達が入って行ったのを見た時のドキドキ感は、今でも忘れられない。あんなに沢山の感情が入り混じった複雑な気持ちは、なかなか忘れたくても忘れられない程、心に迫る物があった。



最終的には、結局その日の内にスキーはさせられ、やはり寒く、やはりキツく、タイムも遅く、好きな女子の前で転び、私はメガネでガリガリヒョロヒョロ。

その日の私の唯一救いだったのは「確かに虐めを受けていそうなルックスはしていたし、遊戯王カードをよく盗まれてはいたが、殴る蹴る無視されるという様な虐めを受けていた訳ではないし、同じガリヒョロの友達は4人くらいいた」という事くらいだった。…救いか!?