読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

6が最高傑作という風潮

ファストフード店にいる。

私は何か作業をする時は必ず自宅から外に出て行う事にしていて、自宅にいるとどうしても他の物に興味が移ってしまう。結局、ゲームやら携帯やらを弄る事になってしまうからだ。

それに少しくらい周りが騒がしい所の方が逆に集中しやすい、というのもある。ただ、実家から一番近いファストフード店が車で片道30分という所にあるので、外に出れば効率よく時間を消費出来てるのかと聞かれれば、全くそんな事はない。

ガソリンを入れ、車を出し、モスバーガーに到着し、260円で飲み物を買い、一銭の得にもならないTwitterとブログと読書を行い、また帰り道ガソリンを入れ、家に帰る。「移動」にバイト代の殆どを費やしている様な気分だ。


今でこそ、私も時間と車とお金さえあれば何処までも行ける様になった訳であるが、子どもの頃は「両親が車で出掛ける範囲=世界の全て」だった。車で40分のジャスコに行けば「ココが世界の果て」と本気で思ったし、いつもの買い物では決して行かない様な、例えばスポーツ用品店だったりスーパー銭湯であったりに行けば「おや外国に来てしまったぞ」くらいには思っていた。

夕方のニュース番組で「全国の天気」として画面一杯に日本地図が表示されても全くピンと来なかった。私にとっての『日本の端っこ』は稚内でも沖縄でもなく『車で40分くらいのジャスコ』だったので、「家があるのが新潟で、新潟は大体この辺だから…じゃあジャスコはこの北海道にあるってこと?」「イヤ、今日行ったジャスコも新潟にあるよ」「???」と『バカ井の中の蛙』状態に陥っていた。結局、小学校に入ってしばらく経ってからくらいの学年になるまでは「日本は死ぬほど広い」という事が理解できなかったと思う。



それに「ジャスコがこの世で一番広い店だし、ジャスコにさえ行けば絶対楽しい」くらいにも思っていた。病に体中を蝕まれ、寿命ももあとわずかの母。「最後の思い出に」と医師から許可された2日間の外出許可、さあ最後に母と過ごす場所をどこにしよう、という場面でも小学生の私なら「ジャスコ!」と言っていたはずだ。

外出といえば「いつも決まった店、いつも決まった道」だった私にとって「本当は何処へでも行けるんだ」なんて事は全く想像できなかったし、「行きたい場所」自体も挙げられなかったかもしれない。

だから「ジャスコから先は海が広がっている」くらいに思っていた私にとって、『友達同士で電車に乗って遠出してもよい』という許可が小学校高学年になってから出た時には、かなり世界が広くなった様に感じられた。電車で、しかも友達同士。『親が行く場所』以外の場所に行っても良い。『世界の果て』だと思っていた海中から、島がゴゴゴゴッと浮かび上がってきた様に感じられた。さながらドラクエ7の「石板を完成させて新しい国が登場」的な感覚だった。



そして今。「世界の果て」など何処にも無いし、車なら行ける所はもっと沢山あるし、新潟のジャスコより越谷レイクタウンとかの方が死ぬほど広いし、ドラクエ7もCGがショボいし、という事をいつの間にか私は知ってしまっていた(最後のドラクエ7はあまり関係無いです)。

「もっともっと世界は広かった」し、「自分たち以外の人間は沢山いる」。…車を手にした、といってもせいぜい良く行く場所もファストフード店と図書館とバイト先くらいの私にとって、それらも『実感』としてはあまり感じられないのだが、どうやら「そういう事」になっているらしいのは理解できた。

「全然知らない」から「何となく理解はしてる」にレベルアップ、というのは結局「その目で見た訳では無い」という事で、損だけしてる様な気がしないでもない。…そういえばドラクエ73DSでそろそろ発売という時期だったはずだ。まだあのCGはショボいままなのだろうか。全然関係ないけど。