変わらないparking meter

昨日、私の住む地区では遂に初雪が観測されてしまった。たった一夜にして、もう50cmは積もった。今日は天気が良かったので少しは溶けているはずだが、それでもこれから朝5時に起床し出勤の為の道を作る為に雪かきをする毎日がやってくるということで「もう駄目だ」「世界は終わるんだ」と、母もおばあちゃんも頭を抱えて絶望しきってしまっている。

ゴールデンウィークの時期まで、雪道をブイーと軽自動車で飛ばす様な『死と隣り合わせ』の日々が私にも続くという事で、このブログも恐らく、それにまつわる出来事が多く占める様になっていくのだろうが、どうせ明日は凍結した道路でスリップして事故死すると思うので、きっと要らない心配なのだとは思う。もしこの数ヶ月で、急にこのブログやTwitterの投稿がパッタリと止まってしまう事があったとすれば、この死亡フラグがバッチリ決まった証拠にもなるだろう。

しかし自分の事ながら、一向に運転技術が上がっていく気が全くしないのは一体何故なのか。助手席に設置されたブレーキを急に踏んで生徒を驚かせる事でしか『私はお前なんかより立場の偉い人間なんだぞ!』という事をアピールできない自動車学校の教官にブレーキを急に踏まれたり、今日は踏まないのかな?と思ったらやっぱり踏んで『どうだ!やっぱり今日も踏んだぞ!』とでも言いたい顔をされながらやっと自動車免許を習得した訳ではあるが、それでももう免許習得から1年は経つのに、未だにちょっとした複数車線の道を目にしただけでも冷や汗が出る。

マリオカート64で鍛えた鬼の様なアウト・イン・アウトとミニターボも、現実では全く役に立つことはない。「アッここでパワフルキノコで前の車を抜きたいのに」と思っても、アイテムボックスは国道18号線のバイト先までの数十キロの道筋においては1個も配置されていないし、例えコースアウトしてもジュゲムが釣竿で持ち上げてくれ正しい道に置いていってくれる事も全くない。自動車もボタン一つでミニジャンプが可能だったり、公道にももっと「お楽しみ要素」とか「任天堂のサービス精神」とかを配慮してくれれば、より楽しく安全に運転出来ると思う。

しかし、雪が降ると本当に本当に前が全く見えなくなるから、いつ事故を起こしても良い様な状況になっている(そしてこれからなっていく)のは確かだ。「高校を卒業した後は無我夢中で働きに働いた。この生涯の中で自分を通り過ぎて行った人々、それでも自分を信じてくれた人々。時代の荒波を自分なりに生きてきたつもりだった。本当に必死だった。だから、定年退職の日はとっくに迎えたはずなのに、未だに出社時間になると体がソワソワしてしまう。何だか心に穴がポッカリと空いてしまった様なこの感覚が、妻を亡くしたあの日を思い起こさせる。彼女の声、彼女の仕草、彼女の身体。忘れた日など、一日も無かった。私から何もかもが無くなってからは、彼女の墓に手を合わせる事だけが私が毎日を生きる理由になっていた。そうだ、明日は彼女の誕生日だっけ。彼女にプロポーズしたあの日も、確か雪が酷かった記憶がある。もう時間は遅くなってしまったけど、せめて仏壇に上げるケーキだけは用意してやろう、今の私にはこれくらしか出来ないのだから・・・」のおじいさんが乗る車にキュキュキュのスリップで「ドーーーーーーン!!!」「グチャグチャグチャグチャ グチャグチャー」「ウワーーーーーー!!!」「ウソダーーーーー!!」「ピーポーピーポーピーポピーポー」「ファンファンファンファン」というとんでもない事故を引き起こす可能性も、私の運転技量では充分にある。

いつ可哀想なおじいさんや、年末に家族で父方の祖父母が暮らす田舎の山形に帰省する車に乗った何の罪もない子どもの命を奪ってしまうことになるのか、本当に今から気が気でない。そういえばあんなに得意だったマリオカート64も、乗用車やトラックが猛スピードで走り回るハイウェイをサーキットとし、そのコースを3周しなければゴールと見なされないという超難関コース「キノピオハイウェイ」だけは何度挑戦してもどうしても苦手のままだった。多分それだ。