opinionと主義主張

先日24歳になった。「おめでとうございます」と言ってくれるアナタ。ありがとうございます。祝辞を書かなきゃ!とTwitterを起動させたアナタ。面倒なので辞めて下さい。たまたまこのサイトに自分はやって来ただけでお前の事など何の興味も無い、調子に乗るな死ねというアナタ。歯茎の変な所から歯が生えてきて苦しめ。「暗証番号 チェリーボーイch」で検索してこのサイトにやってきたアナタ。このサイトにはそういった物は残念ながら一切置いていないので、もっと具体的なプレイの名称を書いてもう一度検索しましょう。

ということでまた一つ年を重ねてしまった。もうこの年になって「だから何か」という訳ではあるが、それにしても年月が過ぎるのは早い。レオパレス21のマンションが建築されるのと同じくらい早い。余りにもすぐ『たつ』から、レオパレス21のマンションを見る度に「お前は早漏か」と心の中でツッコミを入れる様にしている。それはまあいいとして。

今になっても「誕生日だから」といって特になにかある訳では無いし、2人しかいない男の友達同士で「お誕生日おめでとう」なんて言う訳でも無いし。只でさえ日々に出来事が少ない割にブログを書いているのだから、こういう日に登場人物として私の日常に介入してもらってオモシロエピソードの一つや二つを家族やら友達やらに提供して貰いたい物なのだが、本当に本当に何も無いから、どうなっているんだこの日常は。

だからレオパレス21の話とか、昨日はチェリーボーイの暗証番号を調べに私のブログに来た人がとんでもなく多い、とかがポンポン頭に浮かんでは消える。こういう時は『昔はどうだったのかな』と記憶のドロヘドロに顔を突っ込むのが恒例となっているが、では実際どうだったかと思い出してみると「何か申し訳ないなあ」という感情が強く残っていた様な気がする。森の中で死んだばかりの猿の頭を切り開き「わあ、猿の脳みそって意外に美味しいんですね」的な宴を部族の皆が開いてくれる様な誕生日であれば、胸を張って皆様に言って聞かせる事も出来たのだが(この下りは超一流コンツェルン電撃文庫様が出版なされた大傑作『キノの旅』で読んだ)あいにく普通にケーキが運ばれ普通にハッピーバースデーが歌われ普通に誕生日プレゼントでマリオパーティー2を貰っていたから、私の幼少期に猿の頭蓋は登場しなかった。

では何が申し訳なかったのかと言うと、私の誕生日の『ちょうど1ヶ月後』にすぐクリスマスがやってきたからだ。普段は寿司やケーキなんかは一切食卓に並ぶ事の無かったはずが、この1ヶ月で連続パーティー、連続おちゃらけ雰囲気、連続プレゼントだったから「嬉しい!」という感情と「しかし、お金の方は大丈夫なのか・・・?」という感情がゴチャゴチャになって、毎年毎年変な感じでその1ヶ月を過ごしていた。しかも数年すると妹が産まれて、その妹も12月の中旬に産まれてきやがった物だから、余計に「本当は言わないだけで、子どもの為と無理しているのでは・・・?」と常に疑心暗鬼になっていた。

「お金の数え方」を小学校で習ってからは、より一層それが具体的な物として想像される事になった。まず寿司が1万円、ケーキに5000円だとして、このマリオパーティーは新品でカメレオンクラブで見た時は7980円。来月もこれと同じくらいのお金がかかるから、もう財布の中身なんて空っぽのはずだ・・・。的な。当時の私のお小遣いは月1000円だったし、おばあちゃんが正月にくれるお年玉の1万円が「何かとんでもない高額のお札」くらいに思っていたから、たった一夜にしてその1万円を超える大金が無くなるという事に、たった一人で危機感に似た物を感じていた。おばあちゃんは正月にお年玉をくれるのに父と母はくれない、という所にも「やっぱり・・・!」と無駄に勘繰っていた。

出来事としては普通に終わる誕生日。しかし、心中は『一人心理戦』でずっと忙しかった。そういう考えから逃げたかったからなのか、子どもの頃の「冬の楽しい思い出」といっても「ゲームを沢山やった」くらいしか本当に無い。と、丁度いま、この携帯に母からメール。見ると「冷蔵庫に刺身あるよ」との事。クリスマスに買うケーキ分のお金はあるのだろうか、来月は車の保険料もあるのにと一瞬心配になる辺り、私もあまり変わっていない。