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Noと言える勇気

犬が苦手だ。もう「怖い」「恐ろしい」のレベルに至る程に苦手だ。何故人々があの恐ろしい生き物を愛玩動物に指定して可愛がっているのか理解できない。彼らには牙がある。大きな声で威嚇する。目付きだってよく見ると怖い。どこに愛玩の要素があるのか、全く意味が分からない。原因は小さかった頃に犬に噛まれたとかそんなんだとは思うのだが、物心つく頃にはもう犬が怖かった。

そんなんだから只々道を歩いているだけでも、知らない道ではずっとビクビクしていた。なんせ犬は人間に飼われ、人間は家庭を築き、家庭は家で作られていく。両サイドを塀に囲まれた路地でも「ああ塀だな、塀がある」と歩き、塀の途切れ目まで来ると「なるほど、ココがこの家の入口で玄関なのだな」と思った瞬間に「ワーーーーーーン!!!!!!」と玄関先で飼われる犬に吠えられる。「なるほど、ココがこの家のいりぐ」くらいで急に向かいの家のガラス戸がガタガタ揺れるくらいの大音量で「ワワーーーーーーン!!」と吠えられるから、勿論「ウワアアアアアア!!」と私も物凄い驚く。家の一軒一軒が塀に「私たちは犬を飼っており、急に通行人の皆さんに吠えることもあるかもしれませんので、その辺は心の準備をお願いします!」という注意書きをスプレーで書いてくれる社会であれば、少しは心に余裕を持てたのかもしれない。

いや、待てよ。「おや、この家の塀には何か書いてあるぞ?なになに『私たちは犬を飼っており、急に通行人の皆さんに吠えることもあるかもしれないので、その辺は準備「ワワーーーーーーン!!!」「ウワアアアアアア!!!」と読んでいる内の不意打ちもあるかもしれない。玄関に「猛犬注意」のステッカーを貼っても吠えられる時は吠えられるのと一緒だ。ああいう「私達は『吠える犬がいますよ』という勧告は事前にしていたのだから、例え犬に吠えられ何らかのアクシデントがあってもこちら側には何の非も無いのですよ」という保険が何かもう嫌だ。

私が意識しているからそう思うだけなのかもしれないが、小さかった時に友達の家に遊びに行けば、毎回私のふくらはぎを何とか噛もうとしてくる犬を友達は飼っていたし、小学校への通学路にも「歩道を歩く歩行者を噛み付こうと思えば噛み付く事の出来るギリギリの長さ」の紐で繋がれた犬を飼っている家もあって、近所の家の殆どが死ぬほど吠える犬を飼っていた様な気がする。

決定的だったのは小学3年生だった頃に、歩いて40分くらいかかる桐谷くんの家に始めて遊びに行った時の事。「遠くて大変だろうから」とおじいちゃんに桐谷くんの家まで行きは送ってもらったはいいが、帰りは徒歩。

で、帰り道。まあ犬を飼ってる家の多いこと多いこと。しかも一通り吠え終わり、走って逃げた私の姿が見えなくなると遠吠えをもされたから余計怖かった。暗くなっていく知らない道。後ろから聞こえる犬の遠吠え。「次の家の玄関にはまた犬がいるのでは・・・次の次の家には・・・次の次の次の家には・・・」という終わらない緊張感。最終的には精神が限界にきて1時間程立ち止まり落ち込んでいると、実家が八百屋をやっている早野くんのお母さんが近所を配達で回っている時に、頭を抱えてしゃがみ込んでいる私を見つけてくれ、ご好意で私を家まで送ってくれたのでその日は何とかなったのだが、それ以来、桐谷くんの家に遊びに行く事はもう二度と無かった。

今でも「ゴールデンレトリーバーがこっちを見てる!」と思ったら木の切り株だった事もあるし、「猛犬 注意」のステッカーにもまだ震え上がっている。犬派・猫派が話題になる事も友達同士であるが、私は完全に猫派だ。もしくは「喉が潰れ牙を抜かれ『ニンゲンの不意を突いて驚かせてやろう』とは絶対に思う事のできないロボトミー手術済み」の犬派。