Macintoshでは無い方で

「新しい物好き」という訳では無いのだが、物欲とか物への執着心とかがいつの間にか死んでしまっているこの肉体では、最早「新しく買った物なのだから最後まで楽しもう」というのをモチベーションにしなければ、何かを使い続けるという事はなかなか難しくなってしまっている。

先月の発売日に新品で買ったダークソウルも、毒沼で気持ち悪い生物に炎を吐かれて死んだり気持ち悪い生物に毒の霧を吐かれて死んだりもういいやとテレビの電源を消した時に薄ぼんやりと画面に反射して映った気持ち悪い成人男性の姿を見たりする事に疲れ果て「コレ、中古で買ったらとっくに嫌になってるな」と気持ち悪い顔で不貞腐れていた。

しかし、この根気の無さには自分の事ながら呆れてしまう。ゲームソフトや映画DVDを借りる時も「自分自身の飽きっぽさ」を予想しつつ、購入を検討しなければ『途中で飽きた』のせいで、何だか損をした気になる可能性もあるので毎度毎度非常に面倒臭い。

この様では、外見も勿論気持ち悪ければ、ビリビリッと皮を剥いで出てきた大脳皮質も気持ち悪くて面倒臭い形状をしているのだろう。私を解剖する時はダークソウルと向きあえるレベルの根気の強い解剖医の手が必要だと思う。飽きられ放置され、完全に腐りきった状態で火葬場に行っては、母の涙も異臭を嗅ぐその瞬間だけは恐らく止まってしまうだろう。「悲しい」より「臭い」の方がいつだってきっと勝つ。

と、いうことで(何が「という事で」なのかは各自で補完をお願い致します)検討に検討を重ね、ようやく今日、iPhone5を買った。このブログも、早速アプリを修得して書いてる。こんな私でも「アプリ」という単語や「Bluetooth」という単語、「Wi-Fi」という単語を使う事を許され、「時代の最先端に立った」様な気にさせて貰っているのだから、コレは素晴らしい。

家にネットを引いていなくても、履歴書に書ける職歴が無くても、頭を一番働かせるトピックが「毎日のオナティッシュの処理方法」でしか無いこの私がiPhone5を持つだけで21世紀の革命男児と化す。始めて携帯電話を持たせてもらったのは高校に入学してからだったが、その頃と比べれば、ポケットにもスッポリ入ってしまうサイズのこの機器は、完全に私よりも賢く、社交性も高く、そして誰かの為になれる物体となった。

しかし、いつの間に私は一人で携帯電話会社の受付に座り、「契約」などという大それた行動を取れるようになったのだろう。今日も店員さんの説明に「馬鹿と思われたくない」に一心で知った顔でウンウンと頷き、「店員さんに『コイツはウンウンと頷いているだけの馬鹿』と思われたくないから何かしら契約の矛盾を突こうとしないと」と躍起になっていた。そして優しい優しい店員さんも私のトンチンカンな質問には笑顔で「その点は先ほども申し上げた通りですね」と対応してくれる。そして倉庫から出てきたのは『現代技術の総決算』であるこの物体だ。契約の際にIQテストとかSPI試験とかしなくて良いのだろうか。完全に私とは不釣り合い物体だ。

今も「iPhoneは自意識が無いの上に賢いから良いとこ取りでスゴイスゴイ」とずっと喜んでいる。iPhoneを手に持っただけで自分が強くなった気さえしてるから、この調子なら2年契約も全うしてiPhoneを持ち続けるのだろうと思う。電源を切った時に薄ぼんやりとした画面に写る笑顔の気持ち悪い成人男性の姿は気にはなるが、今はまだ我慢できる。それにしてもコイツは頭の悪そうな顔をしている。