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Likeでは無くLove

プッチンプリンを極限まで薄くスプーンで切って食うのが得意だ。私がこの人生をここまで生きてきて、唯一胸を張って他人に自慢できる事柄だと言ってもいい。

ただ他人には自慢し辛い。「薄く切る」とか「プリンの美味しさ」とか「スプーン使いの上手さ」とかは居酒屋で酒でも入りながらワイワイする様な話題にはなり得ない。人に言える様なタイミングが全く無いから、といって唐突に「プッチンプリンヲウスクキルノガトクイ!」と急に大声で叫ぶそこそこに育った大人は結構怖いし、「プッチンプリンヲウスクキルノガトクイ!」と大声で叫ばない2m超の大男の方がまだマシだと思われるのが普通だ。だからコレは人には言えない自慢だ。なのでブログに書く。私はプッチンプリンを極限まで薄くスプーンで切って食うのがとんでもなく上手だ。


普段は人には言えない事、人に言ってもしょうが無い事、人に言ったら社会的信用がガクッと落ちてしまう様な事を、顔も知らないが確実にそこにいるであろう「誰か」に向かって言う事による“ガス抜き”として、私はブログやTwitterを使用しているが、皆さんはどうだろうか。私と同じくストレスの解消としてだろうか、他人とのコミュニケーションを図る為だろうか、自分より下の人間を見つけて安心する為だろうか、働かない事への贖罪だろうか。


どんな文字列でも「ある程度受け入れてくれる(様な気がする)でお馴染みの「インターネットの海」である。特にTwitterは140文字という制限こそある物の、それをギリギリまで使う事はほとんど無く、大抵が数十文字の短文であるから「誰かに言うまでも無いこと」が洪水の様に流れ込んでくる事もあって、意味の無い文字列がまるで意味を持った文字列の様に思える時もあるから本当に不思議だ。


だから件の「プッチンプリンを極限まで薄く食える」はもうインターネットでしか言う事が出来ない事柄であるのだが、しかしTwitterではOKでも、ブログではどうなのだろう。「記事」と題している以上(私の場合、というか私の使い方がそうであるからなのだが)ある程度の文字数と、そこそこの内容を含まなければならない。金玉袋の蠢く様子を2000文字に渡る「記事」として書き上げても、これでは週刊アスキーからもダ・ヴィンチからも連載のお誘いは来るはずも無い。


これまで積み重ねた記事数もいつの間にか60は超え、夏から再び始めた分だけでも40には届きそうになっている。この3ヶ月を”前降り”とすれば、例えTwitterでは許されそうな文字列でもブログでは認められない短文文字列を記事として記す、という事に多少の意味はあるのではないだろうか。更に考えればいつの間にそんな事になってしまったのだろう。いつから「楽しさの欠落」「死にたみ」「パイズリ専用水着」という数文字でウフフとRTされるはずが、ブログでは5人の閲覧者の為に数千文字を記す事になってしまっているのか。コレは完全に“顔の見えない誰か”による『文字への冒涜』としか考えられない。


もう一つ言えば、私は結構「プッチンプリンを極限まで薄く食う」という事に誇りを持っている。おばあちゃんが私のプッチンプリンの食べ方を見て、異常に褒めてくれたのが確かに記憶に残っているからだ。

なので「決して『また何の意味も無い思い出だから数百文字を無理矢理付け足してブログの埋め合わせにした』のではないのですよ、言う場所が無いだけでコレは私を構成する要素の一つなのですよ、あなた方の思惑通りにはいかないのですよ」という意味をちゃんと込めて、この記事の上に「プッチンプリンを極限まで薄くスプーンで食うのが得意だ」という文字列だけを記した記事を書く。勿論TwitterにpostするURLもそっちのを使う。


コレは私の自尊心の問題なのだ。プライドの問題なのだ。薄く切ったプッチンプリンは、薄く切らないプッチンプリンよりも確実に美味しいのだ。「プッチンプリンヲウスクキルノガトクイー プッチンプリンスッキー」なのだ。もう5年くらい食べてないけど。