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kitchenに居る合間に

仕事柄(といってもバイトだが)カードゲームといった小物からPS33DSといった比較的大型の商品まで、たくさんの「モノ」に溢れた場所で仕事をしている訳だが、やはり「いつの間にか万引きされていた」という経験は何度かあった。

今思うと「何故そんなハイリスクローリターンな事を…」とその行為が信じられない訳ではあるが、私も小さい頃は「母の財布から1000円札をコッソリ抜こうとしてギリギリで踏みとどまりその右手を抑える」までは行った事はあるから、あまり強く批判が出来ない、みたいな所もある。


モラルに雁字搦めにされているのか何なのか。例えゲームであっても、スカイリムの様なリアルなビジュアルの物は勿論、風来のシレンシリーズのダンジョン内にあるぼったくりのクソ商店であっても『物を盗む』という行為には躊躇してしまう。今になっても「何かを盗める様な子どもでありたかった」とか「子犬も平気で蹴れる様なモラルの低さに憧れる」とか、そういうのでは無いのだが、例えば「友人がオープンワールド系のゲームをやっているのを横から見ていたら何の罪も無い村人をドンドン袈裟斬りにしていくので、つい『オイ!止めてやれよ!』と肩パン」程度の微弱なモラルが私には備わっている様で、そこが非常に邪魔臭く感じる程度の「ワルになりてえ」が、私の心にはずっとある様に思える。


しかし、そういう「どっち付かずなモラル」は持っていて邪魔以外の何者でも無いのだ。善良な人間なら、善良らしく「母の財布に金がある」という思考に行き着かない様な心でありたかったし、悪どい人間なら悪どい人間らしく、親の定期預金を私欲の為に崩す、レベルの竹を割ったような悪人でありたかった。なんだ「1000円盗もうとして辞める」って。どこまで中途半端なんだ。逆にクズか。死ね。脳がただれる。


その微弱なモラルが私の手を母の財布からギリギリ引き離した、という事なのだろうが、コレを方程式にするのなら「母の財布から1000円引き抜こうとしてギリギリで辞める=微弱な不良ぶり=ゲーム内殺人を認めたい」になるのだろう。現実での窃盗未遂とホワイトランでの傭兵殺しは私の中では同列の出来事、という事になる。


しかし、私にも言い分はあるのだ。社会というものは何かとすぐ『結果を出せ、結果を出せ』と人々を急かしてくる。そこに至る為の過程や、そこに辿り着く為の努力など彼らはどうでも良いのだろう。ただこの場合、「1000円を母の財布から盗みそうになる」という行為に至る過程である「遊戯王カードを買いに行きたい」は、見過ごす事の出来ないトピックである事は間違いないのだ。カードゲームを流行らせるクラスメイトが悪い、学校にカードゲームの持ち込みを禁止しない担当が悪い、「カードゲームが理解できる」という子どもを大量に産み出したこの国の識字率の高さだって悪い。モラルも倫理観も体に染み込んでいない未熟な「子ども」という入れ物に「友達に勝ちたい、自慢したい」という欲望という名の電車を発車させた発売元のKONAMIも悪い。「ギリギリで盗まなかった」が結果ならば、「KONAMIが私を犯罪予備軍にさせた」という過程も、コレは決して見過ごしてはいけない。


また「こうはなりたくない」という反面教師になり私の中のモラルを育てさせた家族も悪い。「もう夜遅いから寝てよ 居間で酒も飲み過ぎだろ」と言うと「覚えてろよ!!」と顔を赤くさせて私に叫んだおじいちゃんも悪いし「次パチンコ行ったら5000円私にくれるって言った!」「言ってない!」「言った!」「言ってない!!」と喧嘩する両親も悪い。『1000円盗むか悩む』という中途半端な行為を大人になった今でも覚えている様な人間にならなければ、この様な文字列を書く羽目になる事も無かったのだ。


…とにかく何が言いたいかというと「カードゲームの楽しさも知ってるから、万引きをするかしないかの葛藤も死ぬほど分かる」なのだが、今考えるにあの時、母の財布から1000円をもし盗んでいたとして、それからの私の人生は「超えてはならない一線」を越え、自分の中の大切な物をいつの間にか失ってしまい、今と比べた人生においては、何かしらの変化があったのだろうか?という事だ。もしかしたらGTA4のゲーム内で、パクった車で通行人のおばあちゃんを何度も轢きながら大笑いしていたのかもしれない。

…善悪の比較対象が「箱庭系ゲーム」内でしか考えられない時点で、「何か大切な物」などとうに失っているのでは…という感想が「おばあちゃん轢き殺し」を書いている時点で浮かんでは来たが、社会も言う様に「今現在」という『結果』がこの世では重要であって、その他憶測や過程など取るに足らないクソどもである事は間違い無いし、「結局何もかも変わらないのでは」という事に前頭葉が飛んでしまう前に、今日のブログは終わりにしたいと思う。