忘れられた楽園、とか

いつも「テーマを決めて書こう!」と思い、キーボードのFとJの部分に人差し指を置く所まではスムーズに進むのだが、その大事な「テーマ決め」で人差し指とFとJが一体化してしまう程に動きが止まってしまう、というここまでの流れが最早ルーチンワーク、義務の様になっている。そんな時はFJから指の皮を引き剥がして、血だらけになった指でiPhoneを弄って音楽を聞いたりTwitterを見たりする。指の筋肉がモロ見えになった状態により、痛覚で気絶しそうになりながらも、「ブログを書こう、文字列を書こう」という一心で心を繋ぎ止めている。コレが昔漫画で読んだ「精神が肉体を凌駕する」という事であるらしい。キーボードのFJが私に超人的な精神力を与えてくれるとは思いもしなかった。



で、テーマ。「忘れる」という事を取り上げようと思った。コレは聞いていたiPhoneからそういう単語が聞こえてきたというのもあるし、さっき書いた数行で本題に入りたかったのに「何を書こうとしていたか忘れた」という事でいつの間にか血染めのiPhoneが出来上がってしまった事もあるし、「子どもの頃に死んじゃった大好きだった母方のおじいちゃんの命日が近い(はず)だけど、おじいちゃんの下の名前を全然思い出せなくて、おばあちゃんに『おじいちゃんの名前って何だっけ』とは流石に言い出せずに、毎年おじいちゃんゴメンなさいの気持ちがふつふつと湧き上がってくるからおじいちゃんの命日があまり好きでは無い」という事で決めた。っていうかこのおじいちゃんの命日の下りも今の今まで忘れていたし、正直おじいちゃんの命日がいつだったかももうハッキリしない。(去年までは覚えてたはずなのに…)おじいちゃんゴメンなさい。



記憶力が全く無い、というのはそれだけで男が女からモテる要素の一つを失っているという事である。まず女の名前を覚えなければ話は進まないし、後は「いつも着ている服とは違う」のにも「いつもの髪型とはちょっと変えてきている」という所にも記憶力を発揮しなければ、ちょっとした変化にも言及してあげる事は叶わない。雑談の中で出てきた本、映画、ゲームとかの話を覚えていて、「前に話してた○○、ちょっと見て見たけど良かったよ!」というキャッチボール程度の会話すら、記憶力のお力添えが無ければ全く不可能になってしまう。前に喫茶店に寄った時に女性が飲んでいたのと同じ飲み物を、次回出会った際に何も言わず、さり気なく奢ってあげるという事だってやってみたいとは私だって思うのだ。(この下りはCLAMP大先生のXXXHOLiCで読んだ)



しかし、現実はそうは上手く行ってはくれない。人の名前も、顔も、簡単な会話の内容を覚える事も出来なければ、風呂の際に頭を洗っていて(アレ?これは1回目の洗髪でいいんだよな?実はもう2回目の洗髪に入ってしまっているのでは…?)とぎこちない動きで2回目の洗髪をしてしまっている時もある。アルバイト中でもよくある。何故か私の脳内には、全く理解できていないのに、誰かに何かを説明され「分かった?」と言われると「はい!」と答える機能がオートマで装備されている様なのだ。「分かった?」と聞かれ「はい!」と答えた自分に「えっ!」と驚く私に店長が「えっ!」と驚く。

覚える事が盛り沢山のゲームでも非常に困る。説明書が覚えられなければ、ストーリーの登場人物すらも覚えられない。ウイニングイレブンを初めて触った時は、説明書で読んだスルーパスのやり方を忘れていて「何てやり辛いゲームなんだろう」と憤慨した事もあるし、ファイナルファンタジーでは、データをロードし、画面が明るくなると、何も無い荒野に佇んでいる主人公たちが表示され「何が…前のデータでは何が起こったんだ…っていうかこの主人公の後ろにくっ付いている女は誰なんだ…」と途方に暮れた事もある。最近のRPGでは「今どうするべきか?」「直前には何が起こったのか?」を表示してくれるから本当に助かる。段々と「介護」に近付いていってる様な気もしなくはないが、ヘルパーがいないと私は何も思い出せないので、仕方が無い。

『人は「忘れる事」が出来るから生きていける』とは聞いた事があるが、もしかしたらTwitterやこのブログは「生きる為」の「逆」をドンドン掘り進んでいるだけの行為の様な気がする。適度な記憶を、適度な忘却を心がけたいとは思うが、今モスバーガーで頼んでそれっきりになっていたアイスウーロン茶Mを「あっ飲もう」と覗き込むと、羽虫が浮いて死んでいた。過度な忘却は生き物をも殺すという事を、この羽虫を命をかけて私に教えてくれた。2時間も持てば良い方だと思う。虫って小さいから。