本当の逆の本当

よく仮病をする子どもだった。仮病を1度でもした事がある方々には分かって貰えるだろう、体はいたって元気なのに学校を休めるという快感。心配してくる家族に感じる罪悪感。「皆が体育の時間にマラソンをしている中で、僕は家でごきげんようを見ているんだ」という優越感。「あのデブの山崎君も、マラソンの走る反動でシャツに乳首がこすれ、挙げ句の果てに乳首から血を流しながら、泣きながらマラソンをしている中でも、僕は家でごきげんようを見ているんだ」という感慨深さが、(最後のは多分私だけだ)当時の私には病みつきになってしまっていた。



学校に行けば学級内カースト制度に巻き込まれ「手を合わせましょう!いただきます!」を給食係でも無いのに言わされたり、学校から家に帰れば帰ったで、おじいちゃんが食べ溢したご飯粒を踏んだり、父が居間でPS2のパチンコのゲームをやるのを死んだ目でボンヤリと見る事くらいしかやる事が無かったので、「ずっと布団の中にいれる、プラスしかも半強制的に」という破格の待遇を頂ける「仮病」というカードは本当に私にとって使い勝手が良かった。その為、必死に病人のフリをしていた。ご飯が食べられないフリ、目眩がするフリ、せきがたんが出るフリ。妹が本当に風邪になって熱が出るとその様子を観察して、次の仮病チャンスの際に生かそうと真似を試みた事もあった。何をやっているんだ、と思う方もいるかもしれないが、私も「何をやっているんだ」と今になって思う。何をやっているんだ。



まずは下準備が仮病には必須という事で、仮病で休む前日、または前々日から仕込みを行う必要がある。話を振られてもボーッとして聞こえなかったフリをしてみたり、揚げ物が食卓に出てきたら半分以上残してみたり。「どうしたの?」と聞かれればこっちの物だ。「うん・・・」と掠れる声で発した後は、何も言わずに部屋に篭る。意味もなく居間の座布団に横になり出しても良い。「体調が悪いんだ」と複数人に思わせる事が下準備には必要だ。一人では駄目だ。母しか私の体調不良を思い込んでいなかった場合、母が父に私の体調の事で相談をした場合、「そんなの寝てれば治る」と面倒臭がられたら一巻の終わり。相談の結果「学校を休ませよう」という結論を出させるには、その会議出席者全員に「子どもが病気の様ですよ、あなたのカワイイ子どもがですよ」と刷り込ませなければならない。関係ないが、複数回に渡り、父の「寝てれば治る!寝てれば!」で私の仮病への努力が簡単に打ち破られた事が何度もあったので、「子どもがこんなに頑張ったのに、ソレを全部駄目にするなんて酷い親だ!」という所から私の反抗期が始まった。そういう思春期の始まり。もしくは真っ只中。




あんまり怪しまれるといけないので「仮病は月に1度まで」と決めた後は、ウソ早引きで学校を何度も抜け出した。自分がマリオカートになったつもりで一人で通学路から外れた路地で何度も何度も小走りで周回したり、ケツを降りながらドリフトしてみたりして学校から家に帰るまで時間を潰していた。「僕がこうしている合間にも、体育の縄跳びの時間では、デブの山崎君の膝は悲鳴を上げているのだろうなあ、縄跳びでも乳首から血は出るのかなあ」と思ったりもしていた。デブの皆さん、縄跳びでも乳首から血は出るのですか?未だに疑問です。