もう帰らせて下さい

「認知する」という事の重要さ、重大さに人間は常日頃から苦しめられている様に思えます。目も向けたくない真実、何としても認めたくない、という逃避、そして自らに容赦なく降りかかる「責任能力」という4文字。「保留という選択肢が選べる」という事の有り難さという物は、いざその選択が出来ない問題にぶつかりでもしないとなかなか理解する事が出来ません。常日頃、自分に降りかかる問題の一つ一つに目を向ける、という事が最善の選択だという事は重々承知していても、なかなかそう上手くいってくれないのは、我々人間に何故か搭載される「怠惰」という感情であったり「物欲」であったり、やはり「性欲」であったりという物が邪魔をするのでしょう。マンネリスイッチ、性欲スイッチという様な分かりやすいONOFFくらいは腰の辺りに付けてくれれば良かったのですが、「性欲スイッチ」という単語は少しエロくて良いのでもう不問にしましょう。金輪際この件でもう文句は一言も言いません。



さて、ではお前は何が言いたいのかと申しますと、一応このブログの初期テーマであった「50音順にテーマを決めて書いてみる」という邪魔臭い段取りが遂に折り返し地点を迎えました。当初は目糞を食べながら「楽しいお話バンバン書いて終わらせちゃうもんねー」と言っていた物ですが(認知しなければならないというのはこの辺りで)考えれば考える程嫌な思い出が蘇る。小学校の遠足で皆に構ってもらいたくて500円以内のおやつを全部じゃがりこ塩味にするも誰も気付いてくれなくて死んだ目でのじゃがりこ食い幼児に徹した、などのエピソードを思い出す度にブツブツがいっぱい出来てしまい、あと単純に面倒くさくて、あっと言う間に1年半掛かってしまいました。



1年半掛かれば、飽きて橋の上から捨てたじゃがりこ塩味もどこかブラジル辺りの海岸に到着してくることでしょうね、という事で今回は少し趣向を変え、この1年半で書いた33個の記事の中から、私が改めて心に残っている嫌な思い出、2度読むことで更に傷付く箇所を見付けた嫌な思い出、などを抜粋して振り返ってみようかと思います。おっ、ちょっと見てみようという方がもしいれば、このまま下に。「面白くも無い思い出を振り返ってまた面白くも無い思い出を書くのかよ!クソ面白くねえな!」という方は申し訳ありません、親族の方がドンドン水難関係の事故に遭っていく様に私の方から願わせて頂きます。申し訳ありませんでした。



コレは閲覧数が結構伸びたのが印象にあります。

http://blog.livedoor.jp/kobochan24/archives/2011-02.html

この後くらいから私は本当に「自分の何かを誰かに見せて発表する」という事が苦手になってしまいました。成人してやっと少しマシになったくらいです。当時から私は本当に絵が下手で、最近自分が小学生だった頃の絵を久しぶりに見る機会があったのですが、全登場人物の膝が逆関節に捻じ曲がってましたね。私が目にする人間はそう見えているのでしょうか?狂った世界の中で唯一まともに見える物が英語教師のジェフ先生だったのでしょうか?ジェフ先生との思い出で私が印象深かったのは、ジェフ先生とのお別れ会で校歌を全校生徒で歌う時に皆すごく声が小さくて、翌週の全校生徒朝会で教頭先生が凄く怒った、くらいしか思い出がありませんね。全然面白くないなコレ。ジェフ最悪だなアイツ。



http://blog.livedoor.jp/kobochan24/archives/1562013.html

コレとあとコロコロの影響で買ったオモチャはビーダマンくらいですかね。母から見れば正に狂気だったと思うんですが、家には怪獣の人形とかが無かったんでビーダマンやミニ四駆、あとはスーパーマリオRPGとかのスーファミのカセットを擬人化して「ブフォーダァーギャシャア」とか言いながら闘わせたりしてました。悪の皇帝ビーダマン軍団にドンドン侵食される我が家、その魔の手はおばあちゃんとおじいちゃんの部屋にも伸びていった。正義の守り手である「スーパードンキーコング2」や「爆走兄弟 レッツ&ゴー シャイニングスコーピオン」などもまさかまさか、ドンドン蹴散らされていく(もう遊んだゲームや子供ながらに面白くないと感じたゲームは雑魚キャラ役だった)そんな中に現れたのはスーパーマリオRPG桃太郎電鉄HAPPYの最強バディ。ビーダマンの人間の命を燃料として打たれる渾身の締めうちも彼らの前では役立たず、2人はミニ四駆に乗って颯爽とおじいちゃんとおばあちゃんの部屋から帰っていくのだった、次の戦場を目指して・・・みたいな。最後の決戦のシーンでは「イケッイケッイケッウワアアアアア」とか叫んでた記憶もあるので、お母さんは本当に心配しただろうなとは思う。



意外に文字数も長く、私も面倒臭くなってきたのでここまで。次回もあるかもしれないし、無いかもしれないです。「クソ面白くも無い人間が次回あるかも、だってよ!もう死んでくれよ!」と思う方はごめんなさい。人間らしさの損失を心より願わせて下さい。まあどうせ死ぬんでしょうけどね、明日。