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乗り乗られ

「金・車・女・ノリの時代が、遂にやってきてしまうのでしょうか・・・」と不安になる程「ノリ」が生きる為の重大要素として捉えられている昨今、皆様いかがお過ごしでしょうかと聞かれれば、私は大変生き辛く感じています。


アホの様にアホの言う事に全乗っかりで応答が出来る人間が「ノリの良い人間」ともてはやされ、前頭葉をしっかり使いモラルや倫理が第一優先、デリカシーの権化として会話を重ねる人間が何故か「ノリの悪いアホ」と揶揄され蔑まれる。



「若者らしい」とは一体何なのでしょうか。「空気を読む」とは一体何なのでしょうか。草を生やしながら「どうですか皆さん見てください!私はノリが良いのですよ!そしてコレがモテるという事なのですよ!」と言わんばかりのアホ元気の良さでアホ左脳を使ってアホ語彙を操りアホ女とアホの街に夜な夜なアホの様に消えていく。彼らも彼らなりに生きているのでしょうが、「アホ」で済むなら警察はいらないのです。声の大きな者の言う事が世論になってしまう様な世の中は打破すべきなのです。なんせアホというのは声が大きいですからね。



「楽しく生きれればそれでいいじゃん!」というどこの誰の物かの知らない声も、「未熟な若者」という見方はされる物の、その未熟ささえも世の中的には良しとされ愛される。「まあそうはいっても、考え方なんて人それぞれじゃん?」という前頭葉の機能が停止している人間の主張も、「うるせえ馬鹿そんな一言で『私この論争纏めました』の様なドヤ顔を晒すなカス」という私の考えをぶつけた所で、今度は私が「空気を読めゴミ」と言われてしまう。「その場のノリで」という一言さえ付ければ、大抵の言動は許されてしまう現代版免罪符の勝手な登場に、民衆は危機感を感じないのでしょうか。こんな様ではその内、「その場のノリで万引き」「その場のノリで死体遺棄」「その場のノリで独占禁止法違反」「その場のノリで食品衛生法違反」「その場のノリで核ミサイル発射実験」程度の犯罪ならば何となく許されてしまう、そんな狂った世界の到来も近いのではないでしょうか。



私だって頑張ってテンションを上げ、ノリ良い人間を演じた事もありましたが、いかんせん体が慣れていないのか「ポケモンいえるかな?」の変なラップ部分のおかしなテンションになってしまうのが関の山でした。人には向き不向きという物があるのです。ウェイウェイ叫ぶ事が出来る人間と、「ポッポ、ウツボット、プリンケーシィベトベタァ~」と大きな声で叫ぶ事しか出来ない人間。例え分かりにくかったとしても、個人個人の気持ちの上がり方を理解してあげる事が、「ノリ第一主義」の現代ニッポンには必要になってくるのではないでしょうか。今書いてて思い出しましたが、クラスの皆に構ってもらいたくて友達に「ポケモンいえるかな?」のCDを151回聴くと最後の歌詞にミュウの鳴き声が入る、という嘘を付き、クラス中の人間がミュウの鳴き声を聴くが為に何度も何度も歌詞を聞き、当然その後に嘘がバレて友達に絶交された事がありました。今改めて考えると完全に怪奇現象ですね。っていうかそんなんばっかだな幼少期。