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念!

自分が特別な人間だと思い込み、その「自分が特別な人間だと思い込む事」自体がごく一般的な思春期の人間の思考だった、と気付いた時の落胆で色彩感覚が死んでもう5年は経っただろうか。特別に憧れ、特別に絶望する。自分なんて何も出来ないただの人間だ、と大人らしく振りまいつつも「自分にも物語が始まらないだろうか」と心の中でいつの間にか願ってしまう。


妥協したつもりになっても、『自分も知らない自分といつか出会いたい』と願ってしまうのは「身の程を知る事」が立派な大人と認められる世論の中では些か生き辛い、という当たり屋の様な言いがかりがずっと私の心の中で燻り続ける。


「特異性、特異性」と呟き続けながら薄暗い茶の間でトランプタワーでも幼少期から作っていればよかったのだが、『特異性、特異性と呟き続けながら』以降の文章の行動だけでも実際に行ってみると、翌日の父と母の部屋で私を心配し、家族会議を行う両親の姿を見た事もある事から、他人の精神を削らない方法での特異性の持ち方がきっと一番楽であると書いてて今気付いた。


ナンヤラレンジャーの一員になって地球を救うんだ!と今では信じられない肉体労働に生涯を捧げ「みんなの笑顔が私のご褒美」とワタミ店長の様なセリフを言い張る覚悟が出来ていた幼少期の私も、卒園式の「将来の夢」というお題のお絵かき発表会にぼくもわたしもナンヤラレンジャーに就職希望という人間が同じ組に4人くらいいるのを見た時に、自分が調子乗りの馬鹿では無いかと急に冷めてしまった記憶を、それから20年経った今の私が覚えているのは「たった一人の選ばれた人間」に憧れがあったからではないだろうかと思う。



当時の私は本気で超能力が使えると思っていた時期もあったし、下校の際にわざといつも通らない様な知らない道を通って偶然にも異世界に迷い込めないだろうかと家まで5分で帰れる道を粘りに粘って3時間かけて帰った事もあった。


理科の授業で使ったキラキラ光る何とか火山石を先生に返却せずに隠し持ち、そのまま帰り路地に迷いこむことで『ある地点で急にその石が反応し、私に特別な力と中ボスみてえな敵が現れるのでは!』と期待した事もあったが、私に現れたのはポロポロと欠片が落ちる事で火山石のクズだらけになったランドセルと「なんでこんなに汚くしたんだ!」という親の怒声だけだった。なので、次の日の登校時には実家が八百屋の早野君のランドセルにこっそり火山石を入れる事で「返却」という事にさせてもらった。早野君はすぐにその石に気付き、辺りを不信げに見回した後にグラウンドに向かって投げ捨てたので「貴重な火山石を投げ捨てた!」と憤慨したものだった。全く酷い奴だ!


「私が特別な人間でテレパシーでも使えたならば早野君を糾弾する事もできたのになあ・・・」と貴重な貴重な火山石がテンテンコロとグランドに転がっていく様子を見ながら思った物だが、その時期、私は超能力者ではなく漫画に自分を登場さえてオリジナルストーリーを脳内で作り連載を持つ事に熱中していたので、テレキシスの適性は無かった。いやはや、人生とは上手く転がらない物ですね。石だけにね。