抜き足差し足

「子供は残酷だ」とは良く聞くが、逆に「人間は残酷だが子供は別」と信じられるその前頭葉が私は信じられない。人間は元々残酷に作られた生物だと感じるし、「子供」という、一見大人から見れば劣る様な存在である入れ物が時折見せる、その黒い横顔を「未熟な相手」であると子供に対してタカをくくっていた分、ソレが異様な物として目に映るのだろう。子供は大人と同じで、執拗に吠える犬がいれば「蹴っ飛ばしてやりたい」とも思うし、親戚の家に家族と行くのはお小遣いを貰うただその為だけであったりするし、コンビニでいつも表紙だけを目に焼き付けて終えるだけの快楽天7月号をいつか買う日を夢見ている。「子供はおちんちんをオシッコにしか使用していない」という偏見が悲劇を生む事すらあり得る訳である。おちんちんはオシッコ以外に使い道はあるのだよ、という呼び掛け事案も出来ず、只々「純真さ」を子供に求めるだけの大人にはなってはいけない。そしてその「残酷さ」の矛先が自分に向けられた時の恐ろしさたるや無い。



私は以前「馬鹿が食う肉が頻繁に食卓に出せる程度の蓄えは何とかある中流家庭に育った」とは書いたが、日本では一般的である「クラス内カースト制度」を適用した学校、クラスに所属していた。中流家庭の象徴月1焼肉屋に生涯1度も行った事の無く、昼休みの時間には欠かさずグラウンドに出て蟻を踏み潰す遊びを毎日繰り返し、体育の授業でプールの底に沈んだプランクトン殺し様の「服用すれば人体に多大な影響を及ぼす」系統の薬剤をいじめられっ子に笑いながら投げつける貧相下劣の西田くんも、足が速ければヤハウェ如く尊ばれる。「何だこの世は何だこの世は」と顔を覆う時にはすでに時遅く、何時の間にか私はカースト制度の下から数えた方が早い末席に腰を据える事になっていた。どんなに馬鹿でも「ちょっと色黒で外で遊んでそう」と思われればソレで良かった狂った世界、歪んだ価値観を作り上げるその功績で残酷の烙印を押す事など実に容易だった。因みにプールの錠剤を投げられた下りは西田くんと私では無い。中田くんと私だ。



そんな私にも唯一胸を張れたのが「カードゲームが強い」だった。こうして文字列に起こして見ると、なんて可哀想な長所のだろうとは思うが、実際そうなのだから仕方が無い。当時流行っていたのは「遊戯王カード」という物で、ミニ四駆をドブに沈めハイパーヨーヨーで何枚もの窓ガラスを割ってきた中でも、何とかお小遣いを貯めて5枚150円という超高額セレブお遊びに夢中になっていた。



私の当時持っていたカードで一番強かったのが「ブラックホール」というカードだった。コレは場に出てるモンスターを全部倒せるという強いカードで、しかもキラキラ光っているわカッコイイわで、コレを当てた時は凄く嬉しかった。私の家でクラスの男子を5人ほど集めて遊戯王カードで遊んだ時のコレを使った時も「ナニコレ!」「スゲエ!」の大喝采だった。そのカードのおかげもあってその場は私が優勝。その後、みんなでスマブラをしたり、外で鬼ごっこをしたりした。「遊戯王カードでクラスの足の速い連中とも仲良くなれた!」と自分が強くなれた気さえ、その時はした。その日、外で遊び終えた後に「もう1度遊戯王をしよう」と自分のデッキを見てみると「ブラックホール」が無かった。さっきまで「スゲエ!」と叫んでいた西田くんが私にその「ブラックホール」を使っているのも私は見た。「俺のカードで俺のカードに勝ってんじゃねえよ馬鹿野郎!」とは言えなかった。なんせ私が所属していたのは「カースト制度学級」。只でさえ席替えの時に私が隣だと言う事が分かると泣き出す女子、隅の方で私の悪口を大きな声で言い出す女子が出没するクラス内、そこで「カードを盗んだとあらぬ疑いを」などと訴えられば教卓を足場にしての見世物絞首刑が始まってしまう、と私は恐れた。何か言える訳が無かった。



その後も盗み盗まれが私に限らず何度も横行した。遊びである「カードゲーム」を友達と繰り返せば繰り返す程、実際は友達とはどんどん距離が離れて行く様な、心がドンドン冷たくなっていく様な気持ちがした。子どもの頃に戻りたいと思うと共に、二度と子どもの頃の自分には戻りたくない、という相反する気持ちがずっと私にはある。因みにその後の件の西田くんはというと、彼は小学校を卒業した後、中学では野球部のキャプテンを務め、教師からの受けも良く、高校は主席で卒業し国立大学に進学したと聞く。...偉くなった物だよ!