抉らせる思い出

僕の生まれた村はとっても田舎で、数年前に合併で村の名前そのものは無くなってしまったのだが、まだ合併されてしまう前は村民5000人程、小学校は3校、バスも電車も1,2時間に一本、夜はカエルの鳴く声がうるさくて人の声が聞こえない、くらいのどこにでもある田舎だった。「どこでもある」と言うのは何だか少しおかしな表現の様な気もするが、全国探してもこの程度の田舎はごまんとあるだろうし、まあいいのだろう。で、そんなどこにでもありそうな田舎が、僕の生まれた村だった。


子どもの頃の記憶なんて曖昧で、僕の覚えている思い出といえば「強烈に嫌だった思い出」と「強烈に痛かった思い出」が大体を占めるのだが、朧げな幼少時の記憶の中でも微かに残っているいい記憶もある。僕が何時の間にか田舎に生まれていて、何時の間にか2歳とか3歳になっていた頃。初めて出来た友達が、隣の家に住んでいた「ヨシキ君」だった。家に篭りがちで運動が苦手だった僕を、いつも外に連れ出して遊んでくれたヨシキ君。両親が共働きな事もあって、相手をしてくれる人がいなかった僕に、ヨシキ君はクワガタの取り方も、図鑑に載った恐竜の名前も、野球のやり方も、全部教えてくれた。たまに僕が誘ってゲームを一緒にやった時は、いつも僕が勝っていた。運動ではいっつもアドバンテージを取られていた僕は、そういう所でヨシキ君に唯一勝てるのがたまらなく嬉しかった。


ヨシキ君は絵を書いたり何かを作ったりするのもとても上手で、図工とかそういうのが全然駄目だった僕は、ヨシキ君が何でも出来る天才みたいに見えて堪らなく憧れたし、少し嫉妬もした。彼とは幼稚園が一緒だったけれど、幼稚園は折り紙とか粘土細工とか、そういう図工系の時間がとても多くあったから、いつもすごい作品を作って注目を浴びるヨシキ君に、僕は尚更憧れた。帰る時もいつも一緒だった。ヨシキ君は「お父さんから教えてもらったんだ」とか言いながら自分の背丈の倍以上ある大きめの木に簡単によじ登ると、枝から木の実をもぎ取って僕に見せてくれた事があった。「これグミって言って食べれるんだぜ。食べてみなよ」って、木の実を僕に勧めてくれたけど、僕は何だかそれに抵抗があって「いや、いいよ......」と断っていた。「美味いのに......」と言いながらヨシキ君はまた一人で木に登って木の実を集めていた。それから木の実が取れる度に「食べてみる?」と聞いてくれるのが、僕は少し鬱陶しかったけど、少し嬉しくも感じていた。ヨシキ君はそれから暫くして眼鏡をかけ出していた。「おまえとゲームばっかりしてるからだってお母さんにいわれたよ」って言っていたっけ。その時は確か僕は本当に申し訳無く思って、泣きそうになってしまった様な記憶がある。



それから、小学校に入学するかしないかの時期に、ヨシキ君は遠くに引っ越してしまった。急に引っ越しが決まって、別れの言葉さえかけられないくらいの、急な出来事だった。その時の事は、正直言って殆ど覚えていない。僕の記憶の中では、ヨシキ君は何時の間にか、いなくなってしまっていた。何時の間にか僕は田舎に生まれていて、何時の間にか僕は2歳か3歳になっていて、何時の間にか小学校に入学することになっていたのと同じで、僕は何時の間にかヨシキ君の事を忘れそうになっていて、何時の間にか一番最初に出来た友達との思い出すら、薄れていってしまっている様だった。


もう彼とはかれこれ15年近く連絡を取っていない、というか何処で何をしているのかすら分からない。「子どもの頃の記憶なんてそんなもんだ」と言ってしまえばそうなのだが、彼と一緒に過ごした数年間において、彼に教えてもらった事、彼から貰った思い出はまだまだ沢山ある。あるはずなのだが、結局子どもの記憶なんてあやふやな物だから、今ここに書いた思い出くらいしか実際、記憶に残っていない。その事に、何とも悲しい様な、情けない様な気持ちを感じずにはいられないし、覚えていないが、絶対あの頃の体験が少なからず今の僕の人格形成に影響を及ぼしている訳で、そう考えると「何か勿体ないなあ」とも思う。......しかし、こんな気持ちで終わるのも気持ち悪いので、僕が食わず嫌い王に出た時用のメニューを書いておく。まず「ネギトロ丼」次に「ヒレカツ」で「天ぷらうどん」最後に「レーズンパン」......これ、食べないで文字だけでも絶対バレそうな気がする。僕の対戦相手は小向美奈子がいい。理由は特に無い。