3月中旬~月末までにレンタルで見た映画のメモ書きです。

書くことも無いというか、俺の前頭葉はもうとっくの昔に死んだので最近見た映画の簡単なメモ書きです。

 

特捜部Q キジ殺し

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解説

デンマークの人気作家ユッシ・エーズラ・オールスンによる世界的ベストセラー「特捜部Q」シリーズの映画化第2弾。コペンハーゲン警察署の未解決事件捜査班「特捜部Q」に配属された個性的な刑事たちの活躍を描く。特捜部Qの刑事カールのデスクに、なぜか20年前に捜査終了したはずの双子惨殺事件のファイルが置かれていた。何者かの意図を感じたメンバーたちは再捜査に乗り出し、事件当時に重要情報を知る少女キミーが失踪していた事実にたどり着く。すぐにキミーの行方を追いはじめる一同だったが、キミーを探し続けている人物は他にもいた……。ミケル・ノルガード監督をはじめ前作のスタッフ・キャストが再結集し、「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」のニコライ・アーセル&ラスムス・ハイスタバーグが脚本に参加。「天使と悪魔」のニコライ・リー・カースが主人公カール役を、「ゼロ・ダーク・サーティ」のファレス・ファレスが相棒アサド役を引き続き演じた。

(映画.comより)

 

55点

 

「特捜部Q キジ殺し」と言いたいが為だけに借りた様な感じだったんですけど。何たって「キジ殺し」で、そこに「特捜部Q」と来てますからね。映画のパッと見のルックがそこそこ良いだけにメチャメチャな違和感っていう。本編にキジ殺す描写もそんな無いんですけどね。

本国デンマークでは国民的ベストセラーにもなった「特捜部Q」っていうシリーズの小説があるらしくて。で、その2作目に当たる原作の映画化が、今作「特捜部Q キジ殺し」です。

 

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脚本のラスムス・ハイスタバーグとニコライ・アーセル、撮影のエリック・クルスは「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」のスタッフでもあったりします。同じく北欧のベストセラー小説の映画化という事で、相当力を入れていたのが分かります。(因みに「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」はスウェーデンの小説です)画面の空気が何となく乾いて見えるような所とか「あっ北欧」感、結構ありましたね。

特捜部Qの捜査官2人がこの映画の主役なんですか、この2人のバディ感が結構特殊な関係性にあって、個人的には好きでした。 「相棒」っていうかは「お守り」っていう感じなんですよ。一方が一方を「やれやれ…」って付いていく感じって、最近でいえば『ローグ・ワン』のドニー・イェンチアン・ウェンの関係性に近いんですけど、特捜部Qの振り回す方はドニー・イェンほど強くはないっていうか、多分作品中でも最弱クラスの戦闘力で。でも頭の回転は飛び抜けて速くて…っていう訳でもないっていう。で、メチャメチャ強くて社交性もある相棒が「なんか本当スイマセン、ウチの者が…」って方々に頭下げて回っていく感じで。この2人の歪なバディ感が逆にしっくり来る感じで、結構面白く見れましたね。

ただそれがサスペンスラインのストーリーと組み合わさった時に「イヤこいつらに未解決事件任せちゃって大丈夫!?」みたいな所が浮き上がって来ちゃうっていう事は置いておいて…っていう所はあるんですけど。

 

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トーリーの感想を先に書いちゃうと「なんか事件の真相の周りをウロチョロしてたらいつの間にか全部終わってた!!」って感じで。ちょっとモヤモヤした所が多いんですよ。

基本的にこの映画の主役ってメチャメチャ優秀な捜査官っていう訳では無いんで、事件のかなり大事な所で失敗ばっかりしてるんですね。取り逃がすし、ブン殴られるし、逃げ切れなくて捕まるし。「そんなの無茶だと言ってるだろう!」つって止めてるのに突っ込んだら…やっぱり失敗するし

最善手を打てないままのテンションで最終盤まで来たその結末も、ちょっとご都合主義が強すぎるというか、登場人物の行動に無理があった気がします。序盤から中盤にかけての事件の概要を1つ1つ明かしていくその過程は回想を交えながら結構丁寧な作りで良かったんですけどね。劇中の節目節目に事件の核心に迫っていく様なカタルシスがあまり無いっていうのが結構な問題になってる気がします。

 

 

まあそれと、この事件の犯人たちってマジでどうしようもないクズばっかりな訳ですよ。学生時代の頃から結託してて当時からリンチ、レイプは日常茶飯事だったっぽくて、回想シーンでもう何度もその過程を見せられる訳ですよ。こっちは「学生時代の記憶」がオークションでにも掛けられたら参加者全員スマホで下向いてNetflixに加入し出すような15〜22歳期を過ごしてきた様な人間な訳じゃないですか。そんな俺がこの映画のああいう結末を見てもどうしても乗れない部分が大きくて。

「ああ…そうでしょうね…」「まあ…自業自得ですよね…」っていう。アンチ・カタルシス的な話の作品は嫌いではないんですけど、「作品としての完成度」ってよりかは「振り回された末の徒労感」の方が強く感じてしまいました。

あとは、主演のひとりがファレス・ファレスっていう名前の役者さんなんですよね。メチャメチャエモくないですか。名前。俺が来世外国人で役者だったら苗字も名前も同じにしたい…っていう。ミガキ・ミガキみたいな。ゴシ・ゴシだとちょっとアジア系要素強めになっちゃうんで。

 

 

 

 

ドント・ブリーズ

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解説

サム・ライミ製作、リメイク版「死霊のはらわた」のフェデ・アルバレス監督による、全米でスマッシュヒットを記録したショッキングスリラー。強盗を企てた若者3人が、裕福な盲目の老人の家に押し入ったことから、思いがけない恐怖に陥る様を描く。親元を離れ、街から逃げ出すための資金が必要なロッキーは、恋人のマニーと友人のアレックスとともに、地下に大金を隠し持っていると噂される盲目の老人の家に強盗に入る。しかし、その老人は目が見えないかわりに、どんな音も聴き逃さない超人的な聴覚をもち、さらには想像を絶する異常な本性を隠し持つ人物だった。暗闇に包まれた家の中で追い詰められたロッキーたちは、地下室にたどり着くが、そこで恐るべき光景を目の当たりにする。

(映画.comより)

 

80点

 

前評判も良かったんで、相当に期待して見た1本でした。監督はウルグアイ人のフェデ・アルバレス。製作にはサム・ライミって事で完全にリメイク版『死霊のはらわた』ラインなんですけど、ホラーがマジでダメな俺はオリジナルもリメイクも見られていません…。特に2013年のリメイク版はあまりにえげつないスプラッター描写もあって、あまり評判が良くないって事でもあるらしいんですね。主演のジェーン・レヴィもそのラインですし。

 

 

で、本編なんですけど…最高に面白いサスペンス・スリラーでした!!とにかく面白い!盲目の老人という設定で、ここまでビジュアル的にあっと言わせる物が作れるのか!と、とにかく関心しきりでした。今までに見た事がない画作りが完成させてしまっているという点で、ワン・シチュエーションスリラーの枠をはみだして、何なら美術的な美しさをも感じてしまう程の傑作になっていると思います。

 

まず、エンタメとして凄く親切に設計された作品であると思うんですよ。舞台となる盲目の老人が暮らす家に侵入するパートで、間取り説明と共に意味ありげ~な感じでちょっとした小道具やギミックになりそうなアレコレを1つ1つカメラに映していくっていうパートがあるんですけど、ここだけでも「何が…何が起きるんだ…」ってテンション上げさせてくれるし。

で、実際にそこで起きるアレコレがそこで想像させた物より「えっ!そんな使い方すんの!?」みたいな斜め上の使い方をするんで、もう最高のヤツなんですよ。どこの家庭にもありそうなアレコレでここまで面白くエンタメしてくれるのか…っていう感じで。

 

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舞台もほぼほぼ屋内だけなんで同じところを行ったり来たりしてるだけのはずなですけど、メチャメチャ広い所で右往左往してる様にも思えたりして。登場人物がいる所なんて数部屋プラスそこそこ広い地下室プラスαだけなのに、終わった時には「いつの間にか遠い所まで来ちゃったな...」ってグッタリしてしまうような。撮影が本当に神がかっていた様にも思えますね…。

まあでも細かい所も本当に好きで。亡くなった娘の写真が入った写真立てが逆さにして置いてあるのも、一人取り残される事でいつしか狂気に変わってしまっていた愛情の成れの果てみたいな表現があったりだとか、まあ、なんかいいんですよ。いちいち。

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まあ、観客が感情移入できるようなヒーロー、ヒロイン然としてキャラクターが不在だったりだとか、「そいつがある日突然いなくなったりしたら結構キツめな感じで警察に疑われるのはどう考えてもお前なんじゃないの…?」的な、ちょっと違和感を感じる点がない訳ではないんですけど、まだそこは好みの問題くらいな感じに収まる違和感ではあるんで。個人的には。88分しかないっていう所も含めて、すごく楽しめた1本でした。

あとは、意外にジョン・ウィッグばりの犬映画っていう側面もあったりするんですよね。俺はもうこの世にいる全ての犬は人間の太ももに噛みつくタイミングを伺っていると信じてやまない程度には犬苦手なんで。その疑念が確信に変わる1本でもありました。犬はヤバイ。

 

 

 

ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ

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解説

スリーパーズ」に続き、バリー・レビンソン監督がロバート・デ・ニーロダスティン・ホフマンの2大スターを迎えて放つブラック・コメディ。次期大統領選挙を目前にして発覚した、現大統領のセックス・スキャンダル。大統領直属の“もみ消し屋”ブリーンは、大衆の目をこのスキャンダルからそらすため、ある計画を思いつく。それは、ハリウッドの大物プロデューサーを雇い、架空の戦争をでっちあげるというものだった……。

(映画.comより)

 

70点

 

いやまあ、俺みたいなのが何をホフマン先生出てる映画に得点を付けてるんじゃボケ的な所は自分でも重々承知なんですけど。しかも70点なんか付けてね。ホフマン先生、もしコレ見てたら連絡下さい。すぐ俺のムーヴカスタムのマフラーにガムテープぐるぐる巻きで封して中で8時間くらい寝るんで。

 

現職大統領が大統領選挙中に起こしたスキャンダルを国民の関心からそらす為に「戦争しかけっか!!」つってマジでアルバニアとドンパチやっちゃうっていう、とんでもない映画です。架空の戦争、架空の部隊、架空の映像を駆使して、アメリカ大統領一人の都合に国と世界がメチャメチャに動いていく様をコメディチックに見せていくのが何とも独特な軽やかさがあって、なかなか楽しめた1本でもありました。

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ダスティン・ホフマンとデ・ニーロの共演っていうだけで、2017年の今でも結構テンション上がる作品ですね。プロット的にはホフマンの役柄が物語をグイグイ引っ張っていくんですけど、デ・ニーロの基本人任せで終始敵・味方含めて全員の様子を伺ってる嫌な感じの演技とか、パッと見るとこの2人って同じような人物像に思えるんですけど、実はしっかり相対的に配置されていたりして、アン・ヘッチ含めて良いアンサンブルというか、チーム感の凄くある主演キャスト陣だったと思います。そこそこ大事な役でウディ・ハレルソンが出てたりしてて、今ちょうど『トゥルー・ディテクティブ』見てる途中だったんで、少し嬉しくなったりもしてました。

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個人的に好きなのは、とにかく軽い所なんですよね。それはコメディ色強めの作風でもあるし、人死にすらもさっさと済ませている点でもあって。

 

 

架空の戦争といったって、実際、軍は出動してるっぽいし、マジで何千人という人間が死んでるはずなんですけど、この作中では「自分たちの責任による他人の生き死に」をメチャメチャ軽く扱ってるんですよ。「人が死ぬ」というシーンを直接的に映さないどころか、戦争でコレコレこういう被害が出て何人が死にました的なニュースが入るシーンも劇中には一切無くて。こいつらの人を人とは思ってない感じが、もうここまで徹底されると、逆に清々しさをも感じるレベルになっていて。「コメディとして」と「外道ぶりとして」というダブルミーニングで『軽さ』を成立させているのが、なんか見ていて得した気分になる1本でしたね

 

 

という事で、今月中盤から月末にかけてDVDで見た映画の感想でした。3月は特に『ドント・ブリーズ』が抜群なので、何が何でも皆さん見ておきましょう。本当に。

 吹き替えが水樹奈々梶裕貴の主演で結構豪華だったりします。

 

 特捜部Qシリーズ、ダメって感じでは全然無くて、主演2人のバディ感はメチャメチャ好きになってしまったので、チャンスあれば今出てるシリーズは見ておきたいですね…。

 

ウワサの真相。RHYMESTERのアルバムだったりします。

ウワサの真相

ウワサの真相

 

 

 

 

この生活のどこかに非日常へと繋がる入り口が必ずあるはずだと、私はかなり長い間信じていたし、未だに心のどこかでは諦めていない様な気もする。

来店する度に「店内お客様キモい人ランキング」の電光掲示板に『NEW!』の文字と共にレジ会計時の私の顔写真が上位に掲載される事でお馴染みのスターバックスにまた来てしまった。閉店まで粘るつもりでいたが、昨日の寝不足のせいか睡魔に勝てず、いつの間にか壁に寄りかかって少しだけ眠ってしまっていた。

 

 

冷たくなったチャイティーラテを喉に通すと、喉の少し内側がギュっと絞られる様な感覚がある。 独特の後味があるチャイだが、週5のパートタイムで働いたり、足の親指の爪を巻き爪防止に四角に切り揃えるくらいしか日々に刺激がない様な毎日の中では、この違和感7不快感3の何ともいえない喉の感覚は、私に小指の爪レベルの非日常感を演出してくれる。

それが「その非日常感と、スターバックスまでの車で片道40分のガソリン代+グランデサイズ496円の出費とを比べた時に、コストパフォーマンスは釣り合っているのか」が頭をよぎったりしない事も無いけれど、もう慣れてしまった、というか考えるのに飽きたので、私は喜んで週2ペースで昭和シェルでガソリンを満タンに給油した後に喉を違和感でいっぱいにしていく。

 

 

 子どもの頃から、積極的に自分から非日常感を探していた。大好きだった戦隊モノに出てくるヒーローも怪人も、少なくともテレ朝の朝8時半から9時まで映る映像の中では、週5で朝6時40分に起きて小学校に通ったり風呂上がりに母に怒られる前に爪を切り揃えたりするだけの生活を送ってはいない。「自分はいつもの生活を送っているだけで損をしている」という感覚が強かった。

 

 

この生活のどこかに非日常へと繋がる入り口が必ずあるはずだと、私はかなり長い間信じていたし、未だに心のどこかでは諦めていない様な気もする。

小学生だった私が非日常との邂逅のため、確率的に高いと踏んだのが、「登下校の際にふとした思い付きでいつもと違う帰り道を選んだが故に怪人、もしくはそれに準じた何かしらと出逢う」だった。『ふとした思い付きで違う道で帰り、そのせいで怪人に襲われよう』となってる時点で「ふとした思い付き」もクソも無いのだが、今思うとアニメでも映画でも、そういうキッカケで主人公が事件に巻き込まれていく話が多かった事に無意識ながらも気付いていたのかもしれない。

ただ私の実家は小学校から徒歩5分で着くような立地であった為、怪人いそうルートの探索は非常に困難を極めた。なんせすぐ家に着いてしまうのである。「ちょっと道を外れて…」をやろうとしても、どんなルートを選んでも数十秒もすれば視界の向こう側にはもうすでに実家がチラチラと見えてしまっている。大声を出せば多分家まで声は届く。初めから分が悪い勝負だったのである。

 

 

それでも…と諦めきれなかった私は、学校の正門から少し外れた所に、昔図書館として使われていた廃墟があるのを知り、そしてその廃墟の裏側には獣道があるのを見つけ、更にその獣道が実家のすぐ近くの神社に繋がっている事を遂に発見した。「廃墟」「獣道」「神社」と、何かが起こりそうな予感をビンビンと感じる『ふとした時にいつもの道を外れたら…」のルートを確保する事に成功したのである。入学してから数年。私はすでに小学生高学年になっていた。

 

 

そこから、獣道の斜面がぬかるむ雨の日以外はその道を通って下校をしていたが、残念ながら誘拐され怪人に改造される事もなく*1、私が小学校卒業までにその怪人いそうルートで出逢ったのは、神社の階段下で手押し車に座って休憩しているおばあさんただ一人だった。

散歩の時間が被っていたのだろうか、私の下校時にはほぼ必ずと決まって、そのおばあさんは神社の階段下で手押し車に座り、私を笑顔で見やっていた。「こんにちは」「さようなら」くらいの挨拶をする内に、お菓子を貰った事もあった。私も小さい頃は祖母が「こんなに可愛い子は誘拐されるかもしれないからタクシーで送り迎えさせた方がいいんじゃない?」と母に相談するほどに可愛らしい子どもだったのである。こんな事は朝飯前だ。

ただ、お菓子を貰った時は、母にどう説明したものか凄く悩んだ。帰るまでに全部食べてしまおうかと思ったが、かなり早い時間から封を開けて待っていてくれていた様で、私が受け取った時にはもうすでにお菓子は全部湿気ていてた。とてもじゃないが、食べられる代物ではなくなっていた。結局家に持って帰り、母にバレないようにこっそりゴミ箱に捨ててしまった。

それから2,3か月ほど経ったころ、いつものように下校中に神社の前で手押し車に座るおばあさんに「こんにちは」と挨拶すると、珍しくこっちこっちと手招きをしてくる。近寄ってみると、手押し車から徐に立ち上がる老婆。そして私が見たのは、今の今までケツの下にしていたビニール入りの白い物体だった。よく見ると『10kg』と表記された業務用の塩。しかも×2で20kgもある大荷物。「?」が頭に浮かぶ私。すると老婆。「重くて運べんから家まで持ってくれや」。「???」が230個頭に浮かぶ私。何かしらが書かれた紙を見せながら「ここオレの住所だがら、持っていってくれや、この前お菓子やったんだから」と老婆。

 

 

パッと住所を見ても、全く見た事がない地域名で、恐らく市内なんだろうけど、どの辺の土地なのかも検討すら付かなかった。

行けない事は無いのかもしれないけど、いつ目的地に着くのかも分からないまま20kgの荷物を抱えてこのおばあさんと一緒に歩いて行くのか?でも、捨てたとしてもお菓子を貰ったことは事実で、手伝えるなら手伝いたいけど、っていうかこの人誰だ?名前も知らない人のために、自分はそこまでするのか?当時はそこまでハッキリと文にして考えていた訳ではなかったが、「人としての正しさ」と「小学生の自分にできること」と「面倒くささ」で、混乱して目の前が真っ暗になる、というのを私は小学生にして体験してしまった。

 

 

結局は、本当に偶々、実家の近所に住んでて子供会でよくしてもらっていた陸川のおじさんがそこを丁度通りかかり、藁にも縋る思いで助けを乞いた。事情を察してくれたのか、その住所に何となく当たりが付いたおじさんが、その日の内におばあさんと一緒に家まで車で届ける、という事で何とかその場は落ち着いた。陸川のおじさんには今でも迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだが、それ以来、何となくおばあさんと顔を合わせる事に気まずさを感じてしまい、その神社の抜け道を通る事は二度と無かった。一度だけ、友達との下校中に件のおばあさんを見かけ、また手招きされた事もあったが、また何か届けてくれと言われるかもしれなかったのと、友達が見ていた中での恥ずかしさもあり、気付かなかったフリをした事があった。それ以来そのおばあさんを見かける事は無かった。

 

 

何となく嫌なエピソードというか、「果たしてあれで良かったのか?」とボーっとしてしまう思い出の一つだが、あんなにも憧れていた非日常への入り口があのおばあさんの存在だったとも今となっては思える訳である。怪人に誘拐こそされなかったが、心の中の無意識の部分が、おばあさんとの会合で改造されてしまった様にも思えてしまう。

おばあさんに『この前お菓子あげたんだから』と言われた時の、「善意」と「建前」の間に挟まれ、身体が動かなくなってしまったあの瞬間を、私は大人になった今でも忘れる事が出来ないでいる。

 

 

デンデラ (新潮文庫)

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*1:読者のみなさんの「そんな!」という顔が目に浮かぶ

履歴書をもう書きたくないという気持ち

「年相応」という言葉がある。

曲がりなりにも28年生きてきて、その積み上げてきた年月に相応しい振る舞いという物が私にも備わってしかるべきなのだが、私自身が積み上げてきた物とは一体なんであったのか、正直検討が付かないまま毎月毎週毎日と時間だけが過ぎていく。

 

 

真っ白な履歴書の片隅から、名前と、年齢と、生年月日とを、順々に書いていく。

前の職場を辞めてから、とりあえず…と就いたレンタルショップのバイトもそろそろ10ヶ月になろうかという所で、人件費の大幅なコスト削減が決まり、働ける時間が目に見えて減り出した。何でもグループ全体で見た所の営業利益が去年比で5割ほどになっただとか、その原因は本社で調査中で不明だがとりあえずすぐに結果が出る人件費から削っていくとか、店長から何かしらの説明があった気がしたが、所詮アルバイトである私にとってはどうでもいい事で、まず大事なのは貰える金が減る事であり、そして実家にいる時間が今以上に増えてしまう事だ。母と顔を合わせるのがなんとなく気まずく、休みの日はどんなに持ち合わせが無くても家で一番近い本屋と喫茶店まで車で40分かけて時間を潰しながら何とか誤魔化してきた。

だが、これ以上は私の財布も、大学卒業時に母に65万で買ってもらった14万キロ走行済みのダイハツムーブも限界が近いうちに必ずやってくる。早急な履歴書の作成が、私にとっての急務であった。

 

 

1988年11月25日生。もう人生で何度書いたか分からない数字と漢字の組み合わせを、美白、というよりかは「洗う」という概念を知らない哺乳類の毛色の様な顔色をした自身の顔写真の下に今日も記していくと、恥ずかしい様な居心地の悪い様な、そんな気分になる。

私という人間は変わらずここにあるのに、携帯のバッテリーは減っていくし、モスでは蛍の光が流れだすし、2時間前に自慰した私のおちんちんはグッタリとうな垂れたままでいる。顔写真と生年月日の記された私と、今ここにいる私とでは、一体何が違うのか。自分はもしかしたら瞬間ごとに年を重ねているのでは?と錯覚を覚えたりもするが、残念なことにそれは現実に起きている出来事である。実際の28歳は、履歴書を書く度に、自身の年齢と自身に流れる時間とのバランスが決壊した瞬間を実感として感じたりするのだろうか。その体験を「年相応」と呼ぶのかは分からないが、多分違うという事は何と無く分かる。